ドントークエスト -phase1- 新たな冒険

「ンーーッ」
 眠い目を擦りながら伸びをする。小鳥のさえずりが耳に心地良い。カーテンの隙間から光芒が射し込んでいた。
 デジタル時計を見て曜日を確認する。
 水曜日。
 いくら天気が良かろうが、平日の朝というのは憂鬱なのが人の性だろう。何せ、崇高な社畜の民には仕事が待っているのだ。
 俺は朝食を抜いたことは生まれてこの方一度もなく、どんなに忙しくても何かしらを食べる。食事を抜くと活力が湧かず、まともに動けなかったのは昼食を抜いた件で過去に経験済みだ。こんなものが朝から始まるなんてたまったものではない。
 家を出るまであと1時間少しある。適当に朝飯を済ませた後で、ちょっくらゲームでもしよう。
 そうして俺は賞味期限の表示を無意味なものに魔改造しておいたカチコチの食パンを取り出し、トースト化する。
「チーーーン」
 それにしても食パンは最高だ。楽だし安いし、何より美味い。冷凍庫に入れておけば日持ちもするし。
 そんな貧乏くさいことを頭に浮かべながらサクサクとトーストを頬張る。
「さて、ドラクエしよう」
 ガチャガチャと食器をシンクに放り込み、テレビ前に常備してあるゲーム機に向かう。
 胡坐をかいてコントローラーを目の前の床にセットし、スイッチオン。
 レトロ感溢れる電子音が響く。古くからのドラクエプレイヤーである俺は、これを聴くととても気分が安らぐ。
 軽快なリズムのBGMに包まれながらセーブデータを選択する。
 冒険の書1。トンヌラLv29。マウントスノー
 そして俺の冒険が始まった。
 
 しばらくゲームを進めていると、ある問題に直面した。
「えっと・・・次どうすればいいんだっけ」
 そう、この時俺はドラクエに付き物である「一時的な詰み」に直面していた。特に拘りは無いので、インターネット上の攻略サイトを眺める。
「ここに大きなメダルがあったのか」
 攻略情報を全く見ずにドラクエをクリアできる人は尊敬する。しかし社畜である俺には、そこまでやり込む時間がない。
 ん?社畜
 —――――――はて、今何時だっけ。
 8:24
 あれー。おっかしいなぁ?
 俺の思考は停止した。いや、停止している場合ではないぞ。フル稼働しなくては。
 突如、背筋に悪寒が走り、一気に冷や汗が湧き出てきた。遅刻だ。
「うわあああああああ最悪だああああ」
 大急ぎでルーラを使用。適当な村に主人公を移動させ、教会でお祈りをする。神父との会話を全く聞かず、選択肢だけを見て選択する。そうして冒険の書に記録をする。
 普段何も思わないはずのセーブ音がやたら長く感じられ、イライラが募る。
 ブチッとゲーム機の電源を切って、手提げ鞄を手に取り走ろうとするが、しばらく胡坐をかいていた所為で足が痺れてガクついた走りになってしまった。
 玄関を出た先でお隣さんがベランダで洗濯物を干していたのだが、エキセントリックな走りを披露している俺を見ながらクスクスしてたのを俺は知らない。うん、知らない。そのシーンだけ俺の冒険の書から抹消しておいた。
 やっとの思いで車に到着し、エンジンをかける。そのまま全速力で車をとばす。
 スマホのロック画面のデジタル時計と睨めっこしていると、やがて交差点にたどりついた。
 心中で「急げ」を連呼しながらハンドルを人差し指でコンコン叩く。
 コンコンコンコンコンコンコン・・・・・
 奴は3色のうち赤い煌めきだけを俺の網膜に焼き付けてくる。その時間が長いこと長いこと。
 赤色光線待機地獄を耐え抜き、青く輝く天使が俺に笑顔を向けた。この交差点を右折すれば、長い道路に出る。普段その道路は空いているので、時間を取り戻すにはもってこいだ。
 よっしゃ! いけるぞ!
 しかし、そう思ったのも束の間、目を凝らして道路の先を見ると車がたくさん見えた、のは良いのだが。よく見るとその車どもは動いていない。
 なんでこういう時に限ってジャムるんだよ!
 思い通りにいかない交通事情に虫の居所が悪くなり、ハンドルに八つ当たりをする。
 ボン―――――。
 ハンドルから伝わる空気の振動が車内に空しく響いた。
  車で何もできず、イライラしているだけの状態が長らく続き、やっと渋滞の終わりを告げる交差点に着いた。この交差点を右折すると渋滞から抜けることができる。
右折し、急いで車を飛ばす。
道路の途中で前方に一時停止の標識を確認したが、俺の足はブレーキに触れることはなく、そのまま車を飛ばそうとした。
次の瞬間、車のクラクションが道路上に鳴り響き――――――。


「っていう夢を見たんだけどさ」
 辺りは真っ暗で、視界には目の前に不自然に広げられた冒険の書が宙に浮いている光景だけが映っている。
 冷気が立ち込めており、何やら気味が悪い。
「それは夢ではない。貴様はとうに死んでいるのだ」
「いやいや、意味が分からないんだけど」
「ここは審判所。死者が一時的に訪れる地だ。これから貴様は新たに構築される冥界へ送られる。繰り返す、貴様は死んでいるのだ。」
 奇妙なことに俺は今、目の前の冒険の書と会話している。こちらは口頭で、冒険の書は自身の紙面に文字を浮かべ、文面で語っている。こちらが何かを言えば、冒険の書の紙面に表示されていた文字がフェードアウトし、新たな文面がフェードインしてくる。
 ところで俺は死んだらしいが、謎が多すぎる。それもそのはず、現世に死後の世界を知る者など、誰一人いないのだから。
 信じられない事実を突きつけられ、あれこれと思案を巡らせていると、冒険の書が文面を変えてきた。
「これから貴様には冥界で働いてもらう。為すべきことを遂げ、都度ここに過程を記せ。全てを成し遂げたその時、貴様を現世に別の身として送り返す。では、健闘を祈る」
「いや、ちょっと待――――」
 すると冒険の書は光り出し、俺は言葉を言い切る前に冒険の書に吸い込まれてしまった。
 

 気がつくと俺は草っ原で倒れていた。
 身体のあちこちが痛み、身体を起こすのが辛い。
 いてぇ・・・
 周りを見るとポツポツと木々が不規則に立っており、一面は草原で生い茂っている。注意深く再度観察してみると、草が生えていない道を発見した。その道はずっと続いている。
 俺はその道に入り、無心で歩いた。
 歩けど歩けど周りは緑。一体何が起きているのだろうか。
 え――――?
 道の途中で俺は自分の靴がボロボロの革靴になっていることに気がついた。それに、上下の服装もボロい灰色の布を簡易に縫いつけられたもので、全体的に暗色で簡素な見た目だった。スーツを着ていたはずだが?
 嘘だろ・・・
俺は驚愕の事実に困惑していると、後ろに気配を感じて振り向いた。すると腕を後ろで組んでいる見知らぬ少女がその場に立っており、微笑を浮かべながら口を開く。
「あ、気づいちゃったか〜」
聞き心地が良く、程よいトーンの優しい声が耳についた。どういうわけか、これまた少女も簡素な服装を身に纏っている。上下無地の布製の服で、申し訳程度の刺繍が施されており、配色は水色。俺のオンボロクロスよりはマシだ。
 そして俺は少女に話しかけようとし…あれ?
「ッ!〜〜〜〜〜!!」
 え?声が出ない?というより、言葉にならない。
 すると少女はふふっと笑い、驚くべきことを口にした。
「今、君は特定の言葉でしか話せなくなっているの。でも安心して、私はあなたの心中が読めるから」
 なんだって――――?
「まず自己紹介から始めるわ。私はベリア。あなたがここでやるべきことを遂げられるように、冥府委員会の命令で審判所から派遣されてきたの。案内人と思ってくれて良いわ。最初に言っておくけど、あなたはこの世界で『はい』か『いいえ』しか話すことができないの。ある特定の事象を除いてね」
 はあああああ〜〜〜???
 おいおい嘘だろ?「はい」か「いいえ」しか話せないだって?そんなのまるで・・・
「そうよ、あなたが今思っている通り、ここはドラクエと同じ世界。あなたは主人公同様、『はい』か『いいえ』しか喋れないの」
 そういうことか・・・全てがドラクエ仕様のご都合主義ワールドってわけか・・・
 って納得できるわけねえじゃん!?
「あなた、生前はドラクエばかりやっていたでしょ?」
 それがどうしたっていうんだよ。
「実は冥界はね、死人が生前行っていたことに紐付けされた世界が同軸で平行的に独自構築されて、そこに魂を送られるようにプログラムされているの。だから現世で殺人鬼として死んだ者は殺戮が横行する世界に送られるし、ゲームばかりしていた者はゲームのルールに沿った世界に送られるわ。そして君は偶然大好きなドラクエが選ばれた」
 よくわかんねえけど、要するにヤバい縛り付きのリアルゲームをこれから始めますよって認識で良いんだな?
「ええ。ただしドラクエ同様、ストーリーの仕様上『はい』か『いいえ』以外にも話せる瞬間は存在するの。例えば、扉の封印を解くための合言葉を口にしたり、呪文を詠唱したりね」
 なるほど、仕様上特別に話せる機会は設けられていると。ところでその・・・審判所?で冒険の書から「為すべきことをしたら記録しに来い」みたいなことを言われたんだが、何をすれば良いんだ?
「全クリしなさい。あなたならこれで言っている意味が分かるでしょう」
 馬鹿も休み休み言えって。無理に決まってるだろ。
「でもドラクエの主人公達はやってのけたわ。あなたも同じ条件でできるはずよ」
 それとこれとは訳が違うよねえ!? ねえ? ベリアさん!?
 それを心中でベリアに告げた途端、ベリアは返事をしなかった。というより、返す言葉が無かったのではないだろうか。
 よく見るとベリアの額に一粒の汗を発見。これは図星だ。
 俺はコイツを許さない。あとで冒険の書に記録しておこう。
「と、とにかく頑張ってね!私は仕事があるから!それじゃ!」
 ちょっと待―――――。
 突如ベリアは青白い光に包まれ、消えてしまった。
 早速ご都合主義か・・・どうしてどいつもこいつも待つことを知らないのか・・・
 殊ドラクエに関しては詳しい自信はあるが、自分の身を主人公に置き換えてクリアできるかというと、まるで自信がない。
 やれやれ、と俺は歩みを進める。
 長いこと歩いていると、これまた都合良く村らしきものが見えてきたので、俺は自然と小走りになっていた。
 村に入ると長閑なBGMが流れ出した。程よい数の家々、周りに生い茂る草花、家屋のそばにはタルや壺が見える。恐らく中身を取っても問題は無いだろう。
 そして毎度お決まりのように出入り口付近で村の案内人らしき人が歩いていた。
 試しにその人と会話してみるか。
「はーぁ〜い♪」
「はい」のニュアンス変換で外国人風に挨拶をすることはできるようだ。屁理屈じみているが、一応有りなのだろう。
「おや、外の者かな?ここはレンゾール。新規の冒険者が集う街さ」
 ・・・
 いや、あの・・・何か喋ってくれないのかな?
 お互い黙ってしまった。
 そりゃあそうだよな・・・返しが無ければ普通黙るよな・・・。
 ドラクエの主人公達は代々会話スルーの達人で、本来ならここで「ふーん」とも言わずに華麗にスルーして、さっさと村の中へと入っていくのだろうが、残念ながら俺にそんな器用さは備わっていない。
 とりあえずセーブがしたい。
俺は焦って必死に身振り手振りを使って教会の場所を聞こうと試みるが、何が言いたいのか伝わる気配がない。
「ええっと…見たところ装備が心許ないな。武器・防具屋をお探しかな?」
 そうじゃねえ!! 教会はどこだって聞いてんだよ!!
 そこで俺は閃いた。
 両手を合わせて目を閉じてみた。
「ああ! 教会だね?」
 そうそう!! そうだよ兄貴!!
 必死に頷き、肯定の意を示す。
「ならこの道を真っ直ぐ歩いて2軒目の建物の手前側で右に曲がれば十字架が屋根に刺さっている建物が見えるから」
 ありがとう兄貴ぃ!! 
 必死にお辞儀をして俺は歩きだした。
 去り際に兄貴が怪訝な瞳をこちらに向けていたような気がするが、俺の冒険の書からそのワンシーンだけを抹消しておいた。
 兄貴に言われた通り、教会を発見し中に入る。
 赤絨毯が教会奥の聖書台まで伸びており、会衆席が規則正しく配置され、シスターが聖書台近くに二人ほど居た。ステンドグラスが埋め込まれ、シャンデリアが天井に吊るされている。教会の内観はいかにもドラクエのそれと似通っている。
 聖書台の前に神父が佇んでおり、聖書台の上には一冊の書物が広げられていた。おそらくあれがお決まりの冒険の書のはずだ。神父の前まで行き、神父をじっと見つめる。
 すると神父は自発的に喋り始めた。ありがたやー。
「生きとし生けるものは皆、神の子。我が教会にどんな御用かな?」
「おいのりをする」
 なんと、驚くべきことに普通に喋ることができた。ベリアが言っていた通り、仕様上の言葉であれば問題なく口にすることができるようだ。ものすごく助かる。
「では神の前にこれまでの行いを告白なさい。そしてこの冒険の書に記録してもよろしいかな?」
「はい」
「何番の冒険の書に記録するのじゃ?」
 俺は1番を指し示した。
 すると音楽が流れ出した。聴き馴染みのあるセーブ音だ。
「たしかに記録しましたぞ。まだ冒険を続けられるおつもりか?」
 今日はこのへんにしておくか。いろいろあって疲れたし、これからのプランも練らないと。
「いいえ」
 そして神父は冒険の終わりを告げた
「おお神よ!この者にひと時の休息を与えたまえ!」
 ふと俺は冒険の書を覗いてみた。
 トンヌラLv1 レンゾール
 は?トンヌラ?もしかして俺の名前ってトンヌラになってるのかな・・・
 重要なことに気付いた瞬間、視界がフェードアウトした。